@世界

私の人生を消費して。骨の髄まで美味しくしゃぶりつくして。 ツイッター@世界ID:@at_sekai

幸せを翻訳

 実家にいる。精神の安定が得られる。プラダを着た悪魔を見返した。きれいになると、きれいなものを纏うと、本当に気持ちが救われるよね。それからハチミツとクローバーを見返した。はぐちゃんの言葉が胸に刺さる。竹本の言葉が、真山の言葉が、山田の、花本せんせいの、言葉が、刺さる。

 当然みな、痛みを抱え、傷を抱え、悩みを抱えている。けれども、持つ者がいて、持たざる者がいて、大人がいて、子供がいる。それぞれ魅力的なキャラクターだけれど、そうなるとやっぱり主人公なのは竹本君だ。どうしたって、持たざる(或いはそう思い込んでいる)子供。

 ものを作るということ、世界をみるということ、人と関わるということ、人を好きになること、働くということ、一生懸命であること、生きるということ。

 物語は強いなあと思う。本当にこればっかりは。勿論すごく作画がきれいなアニメなんだけど、それ以上に、見えるんだよ。まつ毛の上に乗る光の粒が、木漏れ日が、油絵の具の匂いが、徹夜明けの朝焼けが、静けさが。私の絵もそうであったらと、望まずにはいられない。

 少しずつ、合間を縫って、小さい絵も描きためようと思う。うちに飾ったり、売ったり、個展を開いたりするために。きちんと勉強しよう。学ぶことは楽しい。教えることも。美しいものを見て、読んで、聞いて、作って、纏って、暇つぶしだ。悪くない。覚悟があれば。まだ、行ける場所があるはずだ。見れる場所が、できることが。まだ。まだ。

 ただ、ねえ、幸せになるということを、いかに上手に言い換えられるかということなの。

満月はおいくらですか?

サマセット・モームの月と6ペンスを読んだ。中々面白い。モームはお菓子とビールを読みかけてやめた。めちゃめちゃ読みずらいなと思っていたら訳が悪いらしくて、他の人も読みずらいって。ぐーぐるせんせが言ってたよ。

ゴーギャンの話だって聞いてたんだけど、私の知ってるゴーギャンとは全然違った。私の記憶が正しければ史実とも違うような気がする。なんだか薄暗いし、徹頭徹尾ニヒルだ。でもまあ結構面白いんだな。すごい、絵を描いたりする気持ちとか、共感なんかもあったと思う。

最近すごく思うのは、文章でも、絵でも、洋服でも、音楽でも、当たり前のことをきちっと最大公約数で書けること、作れることが大切なんだなあと思う。まあ、それが難しいんだけどさ。でももっと、「当たり前」みたいのを探すことをもっとしたらいいんじゃないかということに思い当たったというだけのことさ。

 

大人になると、第三者からみるとあんまり誰も悪くないのに、取り返しがつかなくなることがあるような気がする。なんだか悲しいなと思う。でも、取り返しはつかないのだ。

相変わらず人間関係が苦手だ。もう、友達でさえも、関係していくということが苦手だ。恐れても仕方だないということはわかった。大体のことは失敗しながら学んだり得ていったりするしかないし、失敗しても大したことはないということもわかった。大体のことは今始めればどうにかなるということも、やるべきだということも、まよったらやった方がいいことも、やっと実感はしてるよ。なのに、どうして上手くいかないんだ。

 

私の話、大体こうね。「どうして上手くいかないの?」って。そろそろやめなきゃいけないわね。「こんなことをがんばったよ!がんばってるよ!」って。ブログに言い訳書き連ねるのやめること、下半期の目標にしよう。純粋に考えたこととか感想とか書くブログになるね。

生きることは恥ずかしいなあ

何かたくさん感動があったような気がするけどあまりよくわからない。

たくさん伝えたいことがあって自分の中でうまくまとまってもいない、相手にとったらどうでもいいかもしれないことをペラペラとまあよくしゃべり、思い返すと逐一恥ずかしくなる。言葉が届くかどうかというのは、こっちの伝え方が半分、向こうに受け取れるだけの気持ちと経験があるかが半分だと思っているので、どれだけ伝わっているかはわからないけど、でもまあ一人くらい、一言くらい、何か届くものがあったならうれしいなという風に思っている。

なんかすごくよくわからないのによくわからない理由でめちゃめちゃ感動してしまって腑に落ちない気持ちだ。未だ若干高揚感が残っていて、どうしたらいいのかわからない。なんでわたしは感動してるんだ。

都合のいい健忘症だ

どうせ言葉がまとまらないとわかっているのに書くのは億劫だ。

電脳コイルを見た。四畳半神話大系も。今は夏目友人帳を見ている。伊坂のガソリン生活を読んだ。でも、最近は文字が読めなくてアニメばっかりだ。次はあの花が見たい。

電脳コイルは小学生と大人の距離感とか価値観の違いの描き方がよかった。四畳半神話大系はアニメーションが最高によかった。デザイン性も高い。原作をまったく崩さず別の作品としてここまでクオリティが高い作品は初めてだ。ガソリン生活は伊坂らしく普通によかった。感想終わり。

3日間の引きこもりを経てちょっと立ち直った。でも、引きこもっていた間にたまった用事とかで色々やばい。

ここ数週間あんまり辛かったから誰かに面と向かって助けてって言いたかったんだけど、誰も呼べないことに気がついた。私は実は友達がいないのかもしれない。さみしくなった。

親子丼を作った。見た目は悪かったけど美味しかった。鶏肉は安くて嬉しい。

最近昔のことを思い出せない。というかむしろ今まで覚えすぎていたのだと思う。辛いことや傷ついたことがあっては反芻していたのだから忘れられなくて当然だよな。それに、許していたつもりで許せていなかったのかもしれない。ようやく辛いことを忘れてしまえたと思ったら、昔の記憶がほとんどなくなってしまって、やれやれだ。これからは幸せだった記憶を反芻して覚えて生きていこう。

 

最近のわたしときたら何が@世界だ

最近辛いことが多いのでたくさん言葉にしているんだけど、面倒で途中で書くのをやめてしまった下書きがたくさんたまっていく。まとまらずに、誰にも見られることもなく、ただ私の怒りを静めるためだけに、あるいは辛さを和らげるためだけに紡がれた、中途半端な言葉たちが、1万字近く、ただただ折り重なっている。

私の努力が足りないのはわかっているけど、半端にがんばっているから完全に自分を責めきれなくて、だからなんにもならない。少なくとも、他人を巻き込んでいることだけはどうにかしなきゃいけないなあと思うんだけど、わたしのやることなすこと、大体は少なからず他人を巻き込んでいるんだから、全部頑張るよりどうにもならない。多分精神的なものなんだけど、ずっと体がだるい。すごく健康的な生活をしているのにも関わらず。どうやったら私の精神は健康になるんだろう。

とりあえず自分の悪いところは全部直してみるくらいしかない。

底なしの底という名の底

いつもいつも精神が不安になると文字を書くので、このブログを読んでる人はきっと私がめちゃめちゃ精神の不安定な人だとおもっているかもしれないけど、そんなにずっとずっと不安定なわけじゃないよ。今はめちゃめちゃ不安定だけどね。

どうしていいかわからない。ただただ急に不安なの日常のいろんなことが。そんでもってその日常が崩壊してしまうのではという強迫観念に駆られて死にたくなるの。私のせいでもうなにもかもめちゃくちゃになっちゃうんじゃないかとか、いろんな人に疎まれているんじゃないかとか、迷惑をかけすぎているのではとか、それはきっとたんに妄想じゃない事実だよねもう私なんて死んだらいい。誰か助けて。大丈夫だって言って大丈夫にして。

生理前で体も冷えてて寝不足で胃の調子が悪くて、って調子で体の調子が悪いからなんだよってわかっているのにどうにもならない。さっさと精神科に行って薬をもらって来い。

大学生協伊坂幸太郎のガソリン生活が文庫本になったよって売ってた。欲しかったけど絶望的にお金がないので諦めた。最近は自炊をするなどしてあんまりお金を使わないように、なるべく健康になれるように生活している。人と一緒にいるとすごく楽しいような気がするけど、誰にも会わずに絵だけ描いてちゃんとご飯を食べてちゃんと寝られたら私はかなり満足して生活できる。私も休学して部活もやめてそういう生活したいしそうじゃないと死ぬって思いながら、最後の最後でいつも引き止めるのは両親がこの生活をさせてくれていて、稼いでくれていて、期待をしてくれているということだけなんだよ。それだけ。死にたい。

文字に書くことや絵に描くことでしか救われないことがつらい。人間に救われたい。

非常階段の上にて

研究室の裏戸を開けると満開の桜が見える。下級生たちがわらわらとやってきてうるさかったから逃げてきただけだったはずが、思わず見とれてしまう。煙草に火をつける。灰がひらひらと舞い散って、桜の花びらに紛れていく。煙に混ぜてため息を吐き出した。寒の戻りだ。肌寒い。緩やかに、しかしあっという間に体がつめたくひえていく。同じ景色を見る人がいる。言葉が交される。終わるタイミングをつかめずにつらつらと、ぽつぽつと、ひらひらと、噛み合っているのかいないのか、言葉も花びらと一緒。灰とともに紛れていった。

うまくいかないことばかりだ。自分が嫌になるばかりだ。人間と関係していくということも、絵を書くということも、勉強するということも、努力をするということも。うまくいかないことばかりだ。毎日ヽヽ気持ちが沈み、また高揚することに体がついていかなくて。ふっとしたとき、言葉を発した自分が、私という誰か別人格に見える。私はそんな私を見つめながら、こいつはなんでこんなことを言っているのかって。「なんでそんなこと考えちゃうんですか?考えるといいことないですよ。」知っているよ、そんなこと私だって。私だって、知っている。知っている?知って……?遠く、曖昧になっていく。

過去も未来も現在も朧な今に、思うことは一つ。この美しい景色も、記憶も、絵の具の粒子の一粒となって私の絵となれ。そうして私を救ってよ。