@世界

私の人生を消費して。骨の髄まで美味しくしゃぶりつくして。 ツイッター@世界ID:@at_sekai

これくらいのお弁当箱には、唐揚げとコロッケが。

 私は私の文脈の中で生きている。当然のことだ。人はそれぞれ自分の思考に基づき、その文脈に基づいて生きているんじゃないかとも思っている。使う言葉は違えど、まあそれなりにみんなに当てはまるのではと思う。

 人と人がかかわって生きている限りその文脈はぶつかりあう。完全に理解するというのは不可能にしても、自分の文脈にとらえなおすとどうか、その人の文脈のなかではこういうことなのではないかと想像したりして、生活に支障のないようにすり合わせをして生きている。時折「他人の文脈」というものの存在を認められない、というか自分の文脈で他人も生きていると思い込んでいる人はいて、そういう人を見ると、さぞ生きずらいことだろうなと思う。

 私もまあ不器用ながら、どうにかすり合わせをしようとしながら生きているわけだが、それが対等な関係でなく、上下の関係になってしまうと途端に難しくなる。

 対等な関係であれば、「その言葉は私は違うとらえ方をしていた」「こういうことがあってこういうわけでこういう考えに至った」ということをきちんと考えたうえである程度的確に冷静に主張することができるんだけど、これが上下関係だとまったくもってうまくいかない。

 そもそも威圧的に話されると冷静な思考ができないし言葉が出てこなくなる。下手な言い方をして言い訳だとおもわれるよりは、と思ってとりあえず謝る。すると私の文脈というものはなかったことになってぐしゃっとなってしまって、そのことに私は大きいストレスを感じる。これじゃあ働けないなと思う。

 それから私の特性として、行間を読み取ることがかなり苦手だ。たとえば、「お茶がなくなってるわね」と言われたら、「そうですね。」としか返せない。相手がこの場合にお茶を汲んできてほしいと思っていることを読み取れない。言葉額面通り受けとることしかできない。たとえばだけどね。発達障害のなんかの授業でこんなのあった気がするし、私も軽度のそういうやつなのかもしれない。曖昧な指示とかもすごく苦手だ。こういうのを全部、「そんなの常識だろ!」と言われるとただただ心が死んでいく。

 今の職場で働き始めてから問題として浮き彫りになっただけで、思い返せば今までもままあることだった気がする。とりあえず何が言いたいのかというと、今の職場は辛い。やめたい。でもしばらく辞められるめどは立たないし、どうにかこの事実だけでも伝えられたらいいなと思う。周りの環境に変わってほしいと願うことほどむなしいこともないしね。自分でどうにかするしかない。

 

 最近、苦手な人や嫌いな人を、ちゃんと苦手な人や嫌いな人として認識できるようになった。大きな進歩だ。感情が戻ってきている感じがする。必要以上に憎むことはないけど、別に誰もかれもみんなを無理に好きになることはないのだ。さあ、美味しいお酒を飲んで寝よう。そして明日も早く起きよう。