@世界

私の人生を消費して。骨の髄まで美味しくしゃぶりつくして。 ツイッター@世界ID:@at_sekai

何事もなかったように

ユーリ on iceを見た。1クールの中にシーズンの全てが詰め込まれていたから少し急ぎ足な感じは否めないけれども、それを差し引いても十分に面白アニメと言えるんじゃないかと思う。心情描写がいい。登場人物の一人一人が格好いい。時折挟む笑わせるところがいい。音楽がいい。後、絶対腐女子受けすると思う。

 

最近考えるということをさぼり過ぎて考えるのがつらい。ぼーっとして生きていたいしずっと寝てたい。扁桃腺が腫れて喉と耳がいたい。物もらいが治らない。顔にも謎の発疹ができてどうしてしまったんだろう。心より先に体が辛いって言い出して、普段超健康マンの私はちょっと辛いよ。

 

まあこの2年はリハビリもかねて、ちょっとづつ考えてたくさん作る。まあ良かったら見てよ。

1年の計は

最近は文章にしてわざわざアピールすることのいやらしさとかそうせずにいられない自意識とかにうんざりしていてちょっと離れていたんだけど、よく考えたらこのブログは最早だれも見ていないしそもそも自分のために言語化しているはずなのでそんなことを気にしているのはばからしい気持ちになったので1年を私のために振り返る。

去年の1~2月は漸く就職する決意をしたけどでもまだなにもしないことへの未練がたらたらでただだらだらしていたんじゃないかな。私は冬に弱くて毎年無為に過ごしてしまい勝ちなんだよね。3月には女流に向けて切羽つまりはじめて、試験勉強もはじめて、こっからは結構ずっとがんばったんだ。生活習慣を見直して朝型の生活に。自炊も本格的に始めた。4月5月も女流と勉強に費やして6月は教育実習。終わったらすぐ女流。今回は受賞が狙えるって自信があったのに後輩に抜かれて入選止まりで死ぬほど悔しかったな。終わって2週間くらいですぐ1次試験。中休みが1週間くらいあってその後は独立に一直線。途中2次試験が挟まったけれど7、8、9月は丸々絵に捧げた。1日12時間以上。休日は8時間。最後の1週間は16~20時間。でもきちんと食べて寝て、部屋の掃除もして、自分を大切にしながら絵を描けるようになったのが今年の一番の収穫。10月は最後の学園祭のために過ごし、下の学年ともめ、今でもわだかまりは解けない。それでも悔いのない形で学園祭を終えた。一応大学院の受験も無事に終。了11月は燃え尽き症候群かな。入学手続きと入試の手続きで結構精神が疲れた。12月は受験のために絵も描いたけれど精神と胃の体調不良に悩まされ続けて余り奮わなかった。特に中旬の辺りは結構本当に危なくて家で一人意味のない声をあげたりしていた気がする。

大体こんな1年だった。さぼってしまったことがなかった訳ではないけど、それを最小限に抑える努力はできたかなと思う。色んな物を手にいれた1年だったよ。

今年は、というか大学院2年間の目標は自分の作家性を見つけること。そして商品になる絵を描けるようになること。画面の外の生活を充実させること。外に出ていくこと。自分の可能性を信じて感性とセンスを磨き続けること。何でもいいから最低一つは受賞すること。いい女になること。魅力的な人間になること。強気。ウィットを身につけること。言語化していくこと。健康でいること。欲張りだけどね。全部手にいれるよ。

今年もよろしく。

或夜、25時のこと。

ねえあなた

この部屋のあかりを

何をおもって見ているの。

気がつかなかったなんて嘘。

気にしていないなんて嘘。

私がここに在ることに

気がつきたくないという風に、

でも気づかずにもいれなくて、

知らないふりをしてるのね。

そして私もそのことに

ラジオのヴォリュームそっとしぼり

耳をすまして感じるの。

ねえきっとそのことだって

きっと知ってて知らんふり。

 

忘却

おとなになるということは

忘れるということね。

楽しみの影に鬱々と

いつでもついてまわってる

あの絶望のあったこと。

それを忘れることなのね。

その絶望はいつだって、

死というものと親密に

私のかけらにすみついて

おびやかしたというのにね。

おとなになるということは

ぞっとするほどかなしくて

そしてやさしいことなのね。

 

少女という時の去って

少女という時の去って

ただの女は荒野にひとり

そこにもはや夢はない

砂糖菓子のきらめきも

放課後のベルのときめきも

時がつれていってしまった。

ただの女は荒野にひとり

少女という時の去って。

くすんだ空

あとたったの1時間で東京らしい。田圃はたけはもう見えない。でも高層ビルは未だ見えない。喉が乾いた。母が用意してくれた冷たいスポーツドリンクが食道を通って胃の府に溜まっていく。色々あって何にもない日々が帰ってくる。あああ。

将来というものが急速に色づき、しかしその輪郭はまだ淡く曖昧模糊として目の前に在る。他人の発する言葉には必ず真実とそうではない部分が含まれている。いや、どんな事象にだって多面性が存在し、見るものの数だけ真実があるので、まあ自分に都合の良い真実を見つけて行かねばならない。なるまい。 

もう東京だって。人の服も匂いも、顔さえも違うよ。やれやれだ。