@世界

私の人生を消費して。骨の髄まで美味しくしゃぶりつくして。 ツイッター@世界ID:@at_sekai

底なしの底という名の底

いつもいつも精神が不安になると文字を書くので、このブログを読んでる人はきっと私がめちゃめちゃ精神の不安定な人だとおもっているかもしれないけど、そんなにずっとずっと不安定なわけじゃないよ。今はめちゃめちゃ不安定だけどね。

どうしていいかわからない。ただただ急に不安なの日常のいろんなことが。そんでもってその日常が崩壊してしまうのではという強迫観念に駆られて死にたくなるの。私のせいでもうなにもかもめちゃくちゃになっちゃうんじゃないかとか、いろんな人に疎まれているんじゃないかとか、迷惑をかけすぎているのではとか、それはきっとたんに妄想じゃない事実だよねもう私なんて死んだらいい。誰か助けて。大丈夫だって言って大丈夫にして。

生理前で体も冷えてて寝不足で胃の調子が悪くて、って調子で体の調子が悪いからなんだよってわかっているのにどうにもならない。さっさと精神科に行って薬をもらって来い。

大学生協伊坂幸太郎のガソリン生活が文庫本になったよって売ってた。欲しかったけど絶望的にお金がないので諦めた。最近は自炊をするなどしてあんまりお金を使わないように、なるべく健康になれるように生活している。人と一緒にいるとすごく楽しいような気がするけど、誰にも会わずに絵だけ描いてちゃんとご飯を食べてちゃんと寝られたら私はかなり満足して生活できる。私も休学して部活もやめてそういう生活したいしそうじゃないと死ぬって思いながら、最後の最後でいつも引き止めるのは両親がこの生活をさせてくれていて、稼いでくれていて、期待をしてくれているということだけなんだよ。それだけ。死にたい。

文字に書くことや絵に描くことでしか救われないことがつらい。人間に救われたい。

非常階段の上にて

研究室の裏戸を開けると満開の桜が見える。下級生たちがわらわらとやってきてうるさかったから逃げてきただけだったはずが、思わず見とれてしまう。煙草に火をつける。灰がひらひらと舞い散って、桜の花びらに紛れていく。煙に混ぜてため息を吐き出した。寒の戻りだ。肌寒い。緩やかに、しかしあっという間に体がつめたくひえていく。同じ景色を見る人がいる。言葉が交される。終わるタイミングをつかめずにつらつらと、ぽつぽつと、ひらひらと、噛み合っているのかいないのか、言葉も花びらと一緒。灰とともに紛れていった。

うまくいかないことばかりだ。自分が嫌になるばかりだ。人間と関係していくということも、絵を書くということも、勉強するということも、努力をするということも。うまくいかないことばかりだ。毎日ヽヽ気持ちが沈み、また高揚することに体がついていかなくて。ふっとしたとき、言葉を発した自分が、私という誰か別人格に見える。私はそんな私を見つめながら、こいつはなんでこんなことを言っているのかって。「なんでそんなこと考えちゃうんですか?考えるといいことないですよ。」知っているよ、そんなこと私だって。私だって、知っている。知っている?知って……?遠く、曖昧になっていく。

過去も未来も現在も朧な今に、思うことは一つ。この美しい景色も、記憶も、絵の具の粒子の一粒となって私の絵となれ。そうして私を救ってよ。

昼間の桜メンヘラ女

今読んでいる本はモームのお菓子と麦酒。本当は月と6ペンスが読んでみたかったんだけど、なかったから。聞いている音楽ははちさんの曲。辛くてちょっとジャズは無理。無理。

最近人間関係の歯車がガラガラおかしくなってる。噛み合わないよ。どうして。他人に色々求めすぎているのかな。努力が足りないのかな。どっちもあるよね。

なんかやりたいこととかやらなきゃいけないこととか多すぎて到底自分にはできそうもなくてだからやる気もでなくて全て爆発四散すればいいし私は死ねばいいみたいな気持ちになりがち。

最近考えるということが復活してきてそれに伴って辛い気持ちになりがちなんだけど、ちょっと前は考えられないことに恐怖を感じていたのだしもうどっちでもいいしなんでもいい。でも幸せになりたい。

優しくしたいし優しくされたい。愛したいし愛されたい。

楽しい時には死にたいし、嗚呼もうなにもかも終わりたい。何者にもなりたくない。素直になんかなりたくない。誰かこっちを見て。誰か助けて。

まったくため息がとまらないよ。

最近酔っ払ったおじさんにセックスの話を強要されるみたいな事態があって、それにともなってまたセクシャリティの話とかを色々考えたので書き留めておく。

 私は恋愛とかセックスの話をするのがすごく苦手だ。まず前提としてセクシャリティのはなしをするのと自分の恋バナの話をするのはちがくない?ということ。もっとわかりやすく言うと下ネタと自分の性生活の暴露は違うでしょ?ということ。下ネタというのはセックスとか性器とかにまつわる事実にウィットを効かせてジョークにするということで、別にそれは気にならないというか、冗談として面白ければよし!みたいなふうに思うんだけど、それと自分の性生活の暴露(例えば誰とセックスをしたとか何をおかずに自慰をしたとかそういう話)をごっちゃにしている人がたまにいてそれは全然笑えないし聞きたくねーよという感じ。伝わったかな。

 それで、セクシャリティとはどういうことかとか、自分のセクシャリティ観みたいなものを話す上で、事例の一つとして自分の感情の動きとかを一歩引いたところから話すのはあんまり抵抗がないんだけど、自分が今している恋の話とかキスはどうだセックスはどうだみたいな話を自分のストーリーとして要求されるのはすごく苦手だし嫌。それは、みんなと同じような気持ちで恋愛とかができないというコンプレックスとかもあると思うんだけど、でもそれにしてもどうしてみんなそんな風に恋愛しないと生きていけないみたいな風に思っているのだろうか。どうして恋愛がこの世でもっとも素晴らしいもので尊いものみたいに思っているのだろうか。いや、別にそれは構わないんだよ一向に。そういう人が居ることは知ってるし、ただその人がそうなんだというだけのことだと思うんだけど、自分以外の人もみんな恋愛が最高みたいに思っていると信じているのはなぜなんだろうと思う。そうじゃない人もいるよね?アセクシャルとかノンセクシュアルとかの人だっているよね?別にそうじゃなくてもゲイでもビアンでもヘテロでもバイでも、別に恋愛にそんなに興味がない人だっているでしょ?

 なのに、多くの人は私が恋愛とセックスが生活の中心の女子大生だと信じていて、そのストーリーを消費したがる。恥じらいながら、しかし赤裸々にセックスを語ることを要求し、あわよくばそのストーリーに自分を組み込む夢を見て、私を勝手に消費するのだ。若い経験も少なくて自分の思い通りになる女として。たまったもんじゃないと思う。

 別にね?そういう消費をされることに快感を覚える類の女もいるわけ。だからそういう人とすればいいじゃん。あっちに座ってたずっとパンツが丸見えのビッチだったら喜んでしてくれるでしょ?と、思うわけ。

 それに私の性自認は女で普通に女として見られることが不快というわけではないの。それに私が女としてのストーリーを差し出すことで、自分に得るものがある(例えば慰めや癒し、気遣いや思いやり、あるいは権力を得られる)ならば、それを差し出すことはやぶさかではないの。ただ、自分で売った女を、対価を持った人が買うということと、なんの対価も払わずに人の女をつまみ食いしたいということには雲泥の差があると私は思うわけ。

 すごい話がごちゃごちゃしちゃったんだけど、何が言いたかったのかというと、多くの人が、人は恋愛を中心に生きていると信じ込んでいて、そうじゃない人が居るということに気がつかないということ。それから対価を支払わずに「女」ということをタダ食いするおっさんが多いということ。あとはそれに私が辟易しているということ。長くなっちゃったしわかりにくくてごめんね。

人間が関係していく

ハチ(米津玄師)さんの曲がめちゃめちゃ好きだ。大学に入学してからというものジャズ以外の音楽をほとんど聞いてこなかったのだけれど、最近、中高生の時に聞いていたJ-POPとかボーカロイドとかアニソンとかを聞きなおすとめちゃめちゃよかったりする。昔は歌詞とメロディラインにしか興味がなかったけど、今聴いてみると一つ一つの楽器の工夫とかが見えてきたりする。これはジャズをやってみたお陰だと思う。それだけじゃなくて、歌詞とかも思春期の時にあれほど陶酔しておきながら、青臭いといってここ3、4年は切り捨てていたのだけど、改めて聞いてみるとすごいいいことを言っていたりしてびっくりした。こういうことがあると生き続けるとか経験を積むということも悪いもんじゃないなと思える。

 私は絵を描くのが好きで、歌を歌うのが、特に最近はジャズを歌うのが好きで、人と話したりするのも結構好きで、そういう好きなことをしつつ、世界のシステムに巻き込まれながら生きていて、そういうのが時々苦しい。こんだけ好きなことをやっていてやらせてもらっていて、わがままだろっていう自覚はあるけど、それでも時々苦しくてたまらなくなる。

 幸せに生きるための試行錯誤はしてきたつもりだ。特に人と関わるということについては人一倍努力してきたと思っている。元々すごく苦手で、ここまで普通にしゃべれるようになったのは(それでもまだ「普通」になんて及んでいないかもしれないけど)普通の人の何倍も努力していると思う。多分。それともああして普通にしている人たちは私よりも苦しんであの人格を手にしているのだろうか。そうだとしたらごめんね。でもとても信じられない。

 何が言いたいのかというと、その努力をしていない故に話すのが苦手なのに周りの人がちやほやしてくれてるからそれでどうにかなっている人が好きじゃない。同じ努力をしている人には敬意を払いたいと思うし、それにたいするの思いやりを持って接したいと思う。けど、その努力をしていない人が当たり前のように私に気を使ったり思いやりを持つことを要請するのはムカつく。流石にだからといって実際何も気を使わないみたいな大人げないことはしないけど、でもこの人はその努力をしてない人だという評価を下すことはためらわないでおくことにしている。

 もちろん、私がそう断罪されることも厭いはしないよ。他人に厳しい評価を(私は厳しいとは思っていない、過不足のない評価だと思っているけど)下す以上は私も厳しい評価をされるんだろうことは想像に固くない。みんな私の見えないところで私に対する評価を下しているんだよね。

 はあ、他人について偉そうに色々いうことなんてやめたらいいし、いいとこだけ見といて誉めそやしておけばいいのにね。それはそれで辛くなるてんだから、もうどうしたらいいかわかんないよ。私はただみんなに幸せであってほしいし、私も幸せになりたい。みんなとうまくやりたいなあ。でもそれをするにはみんな、もちろんわたしも含めてだけど、自分勝手すぎるし、受け入れる努力をしなさすぎだよね。受け入れる努力をしない人の分も受け入れる努力をして疲れるのはもうやめたんだ。いいよね。結局わたしも私が一番幸せになりたいだけの屑。

感傷、干渉、緩衝・・・・・・?

別れの季節だ。大好きな人達としばらく会えなくなるのはすごく悲しいと思うんだけど、そういえば普段もやたらにあっていたわけではないんだよなあ、と思うと実はさしたることではないのかも知れない。これは私だけの感覚なのかもしれないけれど、普通の友達とか先輩とかって近くて遠い。自分のなかですごくおおきな存在感を持っているけれども、結局のところ他人という枠組みを出ることができない。そのこと自体がもどかしかったり悲しかったりするけど、だからといってなんにもならない。どうにかしようという意思もないのだから。他人の人生を背負う覚悟など。

でもなのに急に今更、自分の人生を背負う人がいないことが空恐ろしく感じられるのはなぜだ。睡眠不足で精神が不安定だからだよ。今に始まったことじゃあないでしょ。最近ずっと不安定だもんね。

違う、今日はその話じゃないんだ。私は別れるというのが苦手だなあと思うったんだよ。大げさに雰囲気に酔うのも気恥ずかしくって無理だし、かと言って無感動でいることもできないし、何を言ったらいいのかわからなくなって、その場から逃げたくなってしまう。でも、どこにも行き場はない。私だって本当はみんなのことが大好きなのにそれがきちんと伝えられないのはなんでだろう。もう、あの人たちがいる日常は二度とは帰ってこないのに、伝えたいことがたくさんあったはずなのに何一つ言葉にできないまま、まっすぐ瞳を見つめることすらできないまま、もうこのまま離れ離れになってしまうのはどうしてなんだろう。また4月には新たな出会いがあって、その子達と仲良くなってまた離れていくのはどうして、どうしてそんなこと繰り返していかなくちゃいけないの。

最近、全部書ききる前にめんどくさくなっちゃうのよ。だめねきょうもしりきれとんぼ。

亡霊は未だ背後に。逃れられない。

孤独な時は本を読む。本を読んでいる時は寂しくない。面白い本だといいけど、別につまらなくたって構わない。活字を追いかけているということが大事なのだ。そこに私以外の人生が、ストーリがある。

この期に及んで醜い私の亡霊が私を追いかけてくる。そうだ、忘れることなぞ許さない。お前は人よりも醜いのだ。愛される資格などないのだ。それは幻想であるはずなのに、心無い言葉が、視線が、私の妄想を現実にする。ああ、私はやっぱり醜くて愛されない人間だった。

醜いコンプレックス、だいぶ克服したつもりだったけど、だめだね。あからさまに可愛くない扱いを受けるとめちゃめちゃ傷つく。わたしの容姿をいじるのはわたしの一番の地雷だと思う。すごい明らかに上滑りしたお世辞もいやなんだけど、それでもお茶を濁してくれた方がまだましだ。どうにもならない私の弱点だ。20を過ぎた醜い拗らせ女の末路が重なる。

努力ならしてきたのに。可愛くなるための努力。楽しく話すための努力。可愛い子は可愛いというだけでどうにかなってきたものが、私はどうにもならなかったから努力するしかなかった。可愛くなる努力。貶められても卑屈にならない努力。他人の悪意に人を憎まない努力を。鈍感になる努力を。人と関わる努力を。人を立てる努力や自分を卑下する能力。心がたくさん悲鳴をあげたけど、どうにかして身につけてきた力を、つまらない男が、女が、つまらない言葉一つで粉々にしてくれるのだ。そうするともうどうにもならなくなる。また、私にはない可愛さを羨んで、自分の醜さを憎んで生きる日々に逆戻りだ。

私の闇は暗いけど浅い。私のことを可愛いねって言ってくれる人が、私の生きてきた道や考え方を受け入れてくれる人さえいればそれでいい。たったそれだけのことが、自分のせいでめちゃめちゃ難しいことになっていることもわかる。

嗚呼私は引きこもり拗らせ女流画家也。