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私の人生を消費して。骨の髄まで美味しくしゃぶりつくして。 ツイッター@世界ID:@at_sekai

今日はプレモル

 ここ2日くらい、生活と精神を整えるための散財をしている。貯金がどんどん減っていって吃驚する。必要最低限とは言わないけれど、快適な生活に必要な衣類や資料や化粧品を買っているだけなのに。それすらそろっているとはいいがたいのに。高校生の時とはくらべものにならない額のお金を使って生活してるけど、水準は大きく下回っているわけだから、「普通」の生活を送るのって相当の時間とお金と体力がいるなあと思う。

最近、ここ2か月~5か月くらい、自分が大きく変化している(あるいは変化を求めている)ことを感じる。短い髪を気に入っていたり、9年ぶりに髪の毛を地毛に戻したくなったり、昔みたいなロリータをしてみたくなったり、すごくボーイッシュな恰好をしたくなったり。ただの情緒不安定だろうか。

 地毛に戻したいというのは一番わかりやすい形かなって思っている。あるときふっと、「私の髪の毛がくるくるしていたところで迫害する人はもういないんだ」という気づきがあったの。私が醜かったところで迫害する人も、もういないのだよね。もう、過剰にかわいい服を狂愛しなくてもいい。私が好きな服を着て好きな化粧をすればいい。これはまえからしてたか。でも、無理をしなくてもいいっていうかさ。前はボーイッシュな服とか着たらいけない気がしてたの。かわいいと思っても。でも、そうじゃなくて、いろんな可愛い服を着ていいし、かわいい服じゃなくても着ていいし、自分の顔を愛してもいいし、自分の髪を愛してもいいし、自分の体を愛してもいいんだよね。って感じなの。

 それからもう一つ、許せるようになったことがある。たぶん私は結構潔癖な性格で、例えば悪口や陰口を言う人は好きじゃなかった。誰でもそうだと思うけど、うまく聞き流すのが苦手だった。本人は悪口だという自覚がないような類のものでも嫌だったし許せなかった。でも、自分が無自覚に悪口を言ってしまうこともあるわけで、そういうのがすごく自分に対して許せなくて、これはほんの一例なわけで、じぶんのもうけた原則に対して、自分の感情や欲が裏切りを見せるという事態がすごく許せない質だった。でもまあ今は、そういう感情が生まれてしまったことに対して、とりあえず一回肯定的になろう、受け入れようという姿勢が確立しつつある。そういう気持ちはあって、でも理性的な部分、プリンシプルが大事だよね。という風に納得するようにしている。矛盾した気持ちを抱えることにはなるんだけど、感情とか欲の方を潰してなくしてしまうよりは精神に優しいなという風に思っているまだわからないけど。

 散財ついでにプレモルで一人贅沢をしている。贅沢。明日から倹約するよ。ほんとだよ。