@世界

私の人生を消費して。骨の髄まで美味しくしゃぶりつくして。 ツイッター@世界ID:@at_sekai

忘却

おとなになるということは

忘れるということね。

楽しみの影に鬱々と

いつでもついてまわってる

あの絶望のあったこと。

それを忘れることなのね。

その絶望はいつだって、

死というものと親密に

私のかけらにすみついて

おびやかしたというのにね。

おとなになるということは

ぞっとするほどかなしくて

そしてやさしいことなのね。

 

くすんだ空

あとたったの1時間で東京らしい。田圃はたけはもう見えない。でも高層ビルは未だ見えない。喉が乾いた。母が用意してくれた冷たいスポーツドリンクが食道を通って胃の府に溜まっていく。色々あって何にもない日々が帰ってくる。あああ。

将来というものが急速に色づき、しかしその輪郭はまだ淡く曖昧模糊として目の前に在る。他人の発する言葉には必ず真実とそうではない部分が含まれている。いや、どんな事象にだって多面性が存在し、見るものの数だけ真実があるので、まあ自分に都合の良い真実を見つけて行かねばならない。なるまい。 

もう東京だって。人の服も匂いも、顔さえも違うよ。やれやれだ。

緑のラインが涼やかに

エヴァンゲリオン見たよ。めちゃめちゃおもしろいね。本当にタイトルしかしらなかったからピンとこなかったんだけど、聖書がモチーフなのね。知らなかった。今、とある魔術の禁書目録とある科学の超電磁砲を見返してるんだけど、モチーフとその取扱いとか似てる気がする。実はエヴァリスペクトの作品なんじゃないだろうか。かちょっとえっちなシーンのいれ方とかも似てる気がする。
実家に向かう電車の中だ。新宿が見える。ここ最近精神の調子がとても良い。自分で自分を大分コントロールできるようになった気がする。それは勿論、精神を、ではなく、肉体を、ということだが、つまり精神を、ということだ。どこまで自分が無理をできるのか、どこまでの無理ならかえって効率が悪くならないのか。どんな時に集中できて、どんな時に眠くなるのか。どんな時に動けるのか、動けないのか。そういうことをひとつひとつ知って、自分を多少効率良く動かせるようになったと思う。良い傾向だし、より精度を高めたい。目標や幸せにちょっとづつ近づいている。
絵を描く方も、ようやくフォトリアリズムに体や脳が馴染んできたなあと思う。やりたいことが見えてきた。万事上手くいっている。
いつまでこの状態が続くかわからないし、今のうちにできることはすべてやっておかねばなあ。
ああ、今埼京線がぬるまったい風を吹き巻いた

はて、な?

試験終了、あの子が欲しい。あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。 、アリスインワンダーランドⅡ、水の柩、天使の柩、図書館戦争、海道尊の螺鈿迷宮の続編、この2週間で読んだり鑑賞したりしたものたち。

 アリスは面白かったな。すごく面白かったし、創作の刺激になった。絵画から着想を得たり引用したりしているものとか、日本的なモチーフが多用されていたりとか。擬人化もありふれているようで上手く面白いところをついてたし、現実と鏡の中との行き来、その中でメタフォリックな表現も知的快感を刺激された。それに合わせた情景描写や色彩描写もすごく良かった。言語的な視覚表現…というか解釈?も楽しめた。エンドロールの絵本を意識したムービーも面白かった。若干、教訓的な表現が鼻についたのと、アリスが謝ってしまったのが個人的には気になったけど、総合的にみてすごく良かった。

 それから図書館戦争。私は植物図鑑を読んで以来有川浩が嫌いで、でも嫌いと思わされていることすら癪だったので、代表作くらいは読んでみようということで手に取った。まあ、なんていうか、徹頭徹尾ベタだね。主題がまずタイトルから予測した通り。展開も、最初から最後まで予想通りである意味すごくびっくりした。落ちまで全部予想画外のことが一つもなくて、そのことに対してすごく驚いたしある意味感心したよね。ここまでくると。世の女の子たちはこのくらいわかり易いものが好きなんだね。文章も全部会話と口語だし、このくらい読みやすくないと文章が読めない子たちにも人気なのかもしれない。やっぱり好きにはなれないけど、これが世の中に評価されているということをきちんと鑑みてものを作らないといけないなあと思う。

 

 ついったとかで好きな人がおすすめしていた映画とか本、リストアップしてみた。創作物に触れている時がただただ至福。世の中にまだまだおもしろいものがあってよかった。

幸せを翻訳

 実家にいる。精神の安定が得られる。プラダを着た悪魔を見返した。きれいになると、きれいなものを纏うと、本当に気持ちが救われるよね。それからハチミツとクローバーを見返した。はぐちゃんの言葉が胸に刺さる。竹本の言葉が、真山の言葉が、山田の、花本せんせいの、言葉が、刺さる。

 当然みな、痛みを抱え、傷を抱え、悩みを抱えている。けれども、持つ者がいて、持たざる者がいて、大人がいて、子供がいる。それぞれ魅力的なキャラクターだけれど、そうなるとやっぱり主人公なのは竹本君だ。どうしたって、持たざる(或いはそう思い込んでいる)子供。

 ものを作るということ、世界をみるということ、人と関わるということ、人を好きになること、働くということ、一生懸命であること、生きるということ。

 物語は強いなあと思う。本当にこればっかりは。勿論すごく作画がきれいなアニメなんだけど、それ以上に、見えるんだよ。まつ毛の上に乗る光の粒が、木漏れ日が、油絵の具の匂いが、徹夜明けの朝焼けが、静けさが。私の絵もそうであったらと、望まずにはいられない。

 少しずつ、合間を縫って、小さい絵も描きためようと思う。うちに飾ったり、売ったり、個展を開いたりするために。きちんと勉強しよう。学ぶことは楽しい。教えることも。美しいものを見て、読んで、聞いて、作って、纏って、暇つぶしだ。悪くない。覚悟があれば。まだ、行ける場所があるはずだ。見れる場所が、できることが。まだ。まだ。

 ただ、ねえ、幸せになるということを、いかに上手に言い換えられるかということなの。

満月はおいくらですか?

サマセット・モームの月と6ペンスを読んだ。中々面白い。モームはお菓子とビールを読みかけてやめた。めちゃめちゃ読みずらいなと思っていたら訳が悪いらしくて、他の人も読みずらいって。ぐーぐるせんせが言ってたよ。

ゴーギャンの話だって聞いてたんだけど、私の知ってるゴーギャンとは全然違った。私の記憶が正しければ史実とも違うような気がする。なんだか薄暗いし、徹頭徹尾ニヒルだ。でもまあ結構面白いんだな。すごい、絵を描いたりする気持ちとか、共感なんかもあったと思う。

最近すごく思うのは、文章でも、絵でも、洋服でも、音楽でも、当たり前のことをきちっと最大公約数で書けること、作れることが大切なんだなあと思う。まあ、それが難しいんだけどさ。でももっと、「当たり前」みたいのを探すことをもっとしたらいいんじゃないかということに思い当たったというだけのことさ。

 

大人になると、第三者からみるとあんまり誰も悪くないのに、取り返しがつかなくなることがあるような気がする。なんだか悲しいなと思う。でも、取り返しはつかないのだ。

相変わらず人間関係が苦手だ。もう、友達でさえも、関係していくということが苦手だ。恐れても仕方だないということはわかった。大体のことは失敗しながら学んだり得ていったりするしかないし、失敗しても大したことはないということもわかった。大体のことは今始めればどうにかなるということも、やるべきだということも、まよったらやった方がいいことも、やっと実感はしてるよ。なのに、どうして上手くいかないんだ。

 

私の話、大体こうね。「どうして上手くいかないの?」って。そろそろやめなきゃいけないわね。「こんなことをがんばったよ!がんばってるよ!」って。ブログに言い訳書き連ねるのやめること、下半期の目標にしよう。純粋に考えたこととか感想とか書くブログになるね。